2008年 「中国旅行?」 (出国前記)

2007年12月初め例年どうり国際線マイレージ20%オフキャンペーンにて札幌―昆明までのチケットを確保、2008年秋に再び雲南からラオスに行こうと計画

3月中旬、母親が高齢のため長男より兄弟集まりたいとの電話、例年ならば5月下旬の帰省だったが4月中旬の福岡行きを予約した、3月下旬JALよりの電話で4月以降は昆明線が廃止になるのでチケットを返送しマイルを戻すとの連絡、色々ごねてみたがどうにもならずチケットを返送し、これで秋の旅行の予定が大幅に変わった、4月中旬1週間ほど帰省し兄弟できる限り実家に帰ることにした、この時点で再帰省や秋の旅行の事を検討しなければならなくなった

5月に入りJALのマイルキャンペーンを知る「6月末まで中国まで17000マイル」とのこと、秋に再び帰省し5月末から6月に旅に出ようと決め、札幌―広州まで17000マイルにてチケットを取った、今回は6月なので四川チベットに行こうかな?と考えていた矢先に四川大地震、2003年はSARS、今回は地震とチベットには呼ばれていないと感じる

5月24日に広州へ行き、列車か飛行機で昆明まで行こうと思っています、再び大理までは行く予定ですがここから北上し東チベットへ行くか?でもラサまで陸路はかなり遠いです、一ヶ月ではちょっと厳しいし、まだ外国人はラサまで入れないかもしれません、南下しラオスを目指すか?でも6月のラオスは雨期なので道路状況はかなり悪くなります、バスの移動手段しかないので情報収集が重要です

出国
早朝出発、札幌―関空―広州と定刻運行で到着、広州空港で昆明行きを尋ねると最終便に間に合うとの事で昆明行きを決める、待合室でいやな予感、雷と激しい雨、案の定2時間遅れで出発、宿にチェックインできたのは深夜2時半頃だった

大理到着、北京オリンピックの為に長期滞在ビザがおりず、長期滞在者は皆ビザの為に中国を出国したそうで昨年知り合った日本人や西洋人はほとんど居なかった

太陽島で「とろん」の新しい本?を見つけしばらく読書

激しい下痢に悩まされる、旅行中の下痢は何年ぶりだろう?記憶が無いくらい久しぶりだったが原因は不明、宿でじっとするしかないが昨年秋よりも春は当然暖かく短パン、Tシャツで過ごせる、日光浴が気持ちよかった、太陽が真上にありほとんど影が出ない、ようやく下痢が治まった

マンゴー、マンゴスチン、ライチ、果物が豊富で美味しい、主食状態?
良く通った日本食レストランがあるのだが最近は美味しくなく食生活が悪くなった、原因は裕福になってオーナーが調理を雇い人に全て任せているために味がどんどん変わってしまう、身内に日本人が居るのに、何とかして欲しい

今回もあまり天候に恵まれず雨が多い、標高が2000メーター越えているので雨が降ると肌寒くなる

昨年同様、大理滞在で終わってしまったが今回もかなり楽しかった、この状況が長く続いて欲しい

広州で一泊して関空へ、飛行機は1時間ほど遅れた為に関空では飛行機の出口でJALの職員が僕を待っていた、税関はあっという間にパス、何とか国内線の乗り継ぎに間に合った

昨年と季節は違ったがほぼ同じ行動パターン、状況が変わらないうちに通った方がいいかもしれないと思った



2007年 「雲南(中国)とラオスの旅」(出国前記)

昨年の帰国便の機内誌にて運休になっていた中国の昆明―関空線が中国東方航空にてJALと共同運航されることを知り帰国後すぐにマイレージ10%オフの18000マイルにて航空券を手に入れることができました、5年連続してのマイレージチケットです、10月11日発の新千歳―関空―昆明の予約はあるのですが何時まで経っても帰りの運行スケジュールが出ません、最悪は香港辺りまで行くことになるかもしれませんが大きな問題ではありません、めんどくさいだけです

今回はまず昆明から2003年に旅した大理まで行きます、長期滞在者の日本人がたくさん居て楽しかったのでしばらく滞在しようと思っています、この後は南下しラオスの国境を目指します、ただチベットにも興味はあるので南下をやめて北上しチベットを目指す可能性もゼロではありません、大理で決めようと思っています

南下した場合はラオスを更に南下し途中メコン川をボートで下り最終的には首都のビエンチャンまで行こうと思っています、帰りはバスで昆明まで戻るかな?疲れたら空路です

北上した場合は麗江、シャングリラから周辺を旅するか?または四川省チベットまで足を伸し成都まで行き昆明まで戻るか?陸路でラサを目指すか?(このルートは外国人には認可されていません) チベットはラサから西のイメージしかなかったのですが最近は東チベットが良いという話もよく聞きます

とにかく体がしんどくなる前にワイルドなところに行こうと思います、夜行バスや夜行列車の長距離移動はほんとに疲れます、今回も旅の様子は掲示板に書き込みます、ただワイルドなところほどネット環境は悪くなるのでどうなるか判りません

10月10日 出発日前日

帰国便がぎりぎりの1週間前に確定しました、結局、昆明直行便は運休となってしまい上海経由の乗り継ぎで関空までの便となりました
9月に図書館で地球の歩き方、チベット編やミャンマー編を借り興味がわいてきました、ただしミャンマーは無理そうですね?現在はチベットか?ラオスか?五分五分の気持ちです、また大理がとても良い所なので中高年の移住地としての下調べもしようと思っているので長期滞在になってしまう可能性もありチベット、ラオスに行かずずっと大理に居るかも?知れません


ここからは旅行中に宿の掲示板に投稿した内容を題目ごと、そのまま掲載しました

10月13日 大理1

nihonngo no kakikomi ga dekimasenn

ima wa dairi made kimashita kunmin mo dairi mo tenki wa imaichi desu

koko wa net ga muryou desu ga nihongo ga tsukaeru PC wo sagashimasu

10月16日 大理2 

こんかいは、ひらがなしかかけません

だいりは、まいにちあめがふり、さむいです、しかも、つゆのあめのようです、ほくじょうは、やめ、らおすをめざします、ぶっかはやすく、いちにち、2000えん、くらいでじゅうぶんです、こんかいは、40にち、10まんえんくらいのよさんですみそうです

てんきさえよければよいのですが、、、チベットようにもってきた、ふくがりようされています


10月19日 大理3

kyou mo ame desu samui desu omowazu columbia no jaketto wo kaimashita furi-su wo kau yoteiga sukoshi chiisame nanodesuga inna-ha torihazushi kanouna furi-sude 250en nara yasui desu furi-su dake nara 100en honmono ka douka miwakeha tsukanai hodo yoku dekite imasu

chinamini chuugoku 1en ha nihonen de 16en desu

10月25日 大理4

ようやく日本語が使えるパソコンがありましたがよそに比べかなり高いです、よそは飲み食いすれば無料のところが多いのですが。ここは1時間7円、日本円だと112円です

大理もようやく天気が良くなり今日で4日連続晴天ですが今までたまった洗濯やビザの延長、などなど、標高2000メートル近いので紫外線が強く,チベットに居るときのような肌がかさかさになり、空気が乾燥し、日向は短パンTシャツでも暑く、日陰は寒いです、気温は20度までいってないと思います

日本語が使え、時間が余ったので今までのおさらいです

10月25日 大理まとめ

10月11日に出発し、定刻に昆明空港に現地時間で22時ころに着いたのですが両替やがなくしばらく焦りました、日本円やドルはあるのに中国元が全く無い、困った、結局ATMを使いVISAカードで500元手に入れたので,問題は無かったのですが,空港について両替屋が無いのは初めてだったので少々焦りました、VISAカードで買い物はしてもお金を借りたのも初めてでした

昆明からのバスは高速道路が完成し快適に大理まで到着し、宿探しをしました、今回はMDが重いので空からアイポッドを借りてきたのですが充電器が100ボルトしか使えず、全く役に立ちませんでした。街に行って充電器を探したのですが純正品で6000円もするらしいのであきらめました、久々に音楽の無い旅です、役に立たないスピーカーは重くて邪魔です

ノービザで入国し15日が過ぎようとしたので昨日延長しました、15日以内にラオスに向かうことも検討したのですが天候が良くなったのでもうしばらく滞在することにしました

大理は日本人が数人居て宿やバーの居候のようなことをやったりしています、毎晩ここで飲むことが日課になっていますが寒いのでビールがいまいち、他の飲み物は結構高く、主に現地生産の梅酒を飲んでいます

10月29日 大理5

mainichi seiten desu heion na Dairi desu ga sorosoro idou wo shimasu Laos ni mukau yotei desu

10月31日 大理6

だんだんネット環境も進化し、AJAXを使用しどこでも日本語が書けるようになっていました

大理からラオスに今日行く予定でしたが止めました、ここに3週間近く居ると大理に居る日本人の社会や外国人の社会がじょじょに分かってきました、ニセコと同じように興味のある人が多く住みついているし、移住地として興味があるのでもうしばらくいて様子を見ることにしました、先日もSARSの時に成都でバーをやっていた中国人と再会しびっくりしました

状況によっては(ラオスの旅)から(大理滞在)で終わってしまうかもしれません

11月5日 大理滞在記

ほぼ大理滞在が確定しています、天候が悪くなって 寒くなれば移動も考えますが大理が面白いです

太陽島と言うゲストハウス、バーをやってる店が中心になるのですが今は日本人が運営しています、経営者は中国人です

ここに毎日通っています、(僕は近くに別の宿を借りています、ここは屋上がよいです)、太陽島は4年前に来た時は別の場所で別の経営者だったのですがすでに日本人の溜り場でした、ここの従業員だった日本語を話すハルちゃんが経営権を買って何らかの理由で今の場所に移動したようです

11月6日 大理滞在記続編

現在はしんたろうさんがマネージャー、旅の途中のタカさんがスタッフ、タカさんは宿の壁に絵を書くのが主な仕事、掃除、洗濯も仕事のようです

太陽島はドミトリーが主な宿で日本人の宿泊者が多いですが中国人や白人も結構います

夜はバーをやっていて僕は夜な夜な出かけます、色々な旅人や住人が毎晩入れ替わりに表れ面白いです、また、ほぼ毎夜どこかのバーでパーティーが行われ僕も時々出かけます

11月14日 大理滞在記続編2

太陽島のメンバーも全員入れ替わりました、長期滞在者は多いのですが皆、旅行者なので住んでる人以外は変わっていくようです、スタッフのタカさんもチベットへ、しんたろうさん はビザの延長のためにベトナムへ行きました、ひと月前に居たのはオーナーの春ちゃんだけです

現在のスタッフは卓さんと春ちゃんの兄と姪です

11月18日 大理滞在記続編3

大理も今日が最後の日です、天気はよいです、帰国後に整理して、旅日記に[大理滞在記]を掲載いたします

 

 

2006年 タイ&ラオスの旅(出国前記)

当初の予定では広州からベトナムを抜けラオスを旅し、中国の雲南省に入る予定でしたが、ビザ無しで入国できると思っていたベトナムは陸路ではビザの取得が必要なので止めました、広州から昆明まで列車で約30時間の移動、約20時間バスで南下しラオスに入国するルートしかありません、ラオスの後は逆戻りするルートかタイのバンコクまで行き空路で香港まで戻る、、、、等と思っていましたが8月下旬に長男の遊とタイのチェンマイでマッサージの勉強をする話が持ち上がりチェンマイに行くことになりました、10回以上タイに行ってますが北部チェンマイは初めてです、いつもビーチでのんびりハンモックでした
 
陸路でラオス入国後にチェンマイに直行するか?長時間の移動は疲れるので広州から香港に移動し空路でバンコクに入りチェンマイに向かうか?広州で最終決定しますが空路の可能性が高くなっています、空路でバンコク入りするとチェンマイでのマッサージの勉強後は、そのままタイ北部の旅になってしまいそうです、タイ北部にはパイと言う少数民族の暮らすのんびりした街があります、チェンマイからラオスも近いです、しかし遊は5月のバリで覚えたダイビングが面白いらしくピピ島かタオ島辺りに行きたいらしいです、興味のある方はホームページの掲示板に旅行記を掲載しますのでご覧下さい

ここからは旅行中に宿の掲示板に投稿した内容を題目ごと、そのまま掲載しました

タイ 2006年10月17日

千歳空港霧のためにJALは機材繰りが悪く大幅に遅れるようでした、JALの好意でANAに乗って関空に着いたのが出発30分前、JALの職員と一緒に関空を走りました、むちゃ疲れました

何とか広州に22年ぶりに着きました、YHが見つからず駅周辺を1時間近く歩き、結局、客引きについて行きました、広州はすっかり変わっていました、香港も22年ぶりです、ラッキーハウスの場所は移動しましたがオーナー共々健在でした、広州2泊、香港3泊、香港でチケットを買い今はバンコクにいます、バンコクの宿は4年ぶりですが同じくほとんど変わっていません、ここで遊が来るのを待ってチェンマイに行きます

チェンマイ 2006年10月22日

バンコクのカオザンや宿はあまり変わっていませんでした、と書きましたが、大きな変化がありました、ここでは書けません、ただ人は多くなっています

バンコクから夜行バスでチェンマイに着きました、ミチ子さんが行った、ITMという学校に通わずチェンマイの宿であった、日本人推薦のマンツーマンで教えてくれるマッサージ学校を選択しました、日本語も少し通じるので英語のしゃべれない遊には良いようです、これから2週間の予定です

チェンマイ2 2006年10月24日

マッサージ授業2日目終了、だんだんプロレス技の様な足技になっています、やはりマンツーマンの授業は分かり易くて正解でした、遊と二人でホテルの庭で授業後のおさらいをしていますが、先生によって微妙な違いなども分かるので二人でやっていることも良かったみたいです

隊長はクラビで何してたの?

遊がダイビングしたいので南下しますがとりあえずの目的地はクラビとなりました、ここからピピ島かタオ島へ行こうと思っています、天候次第です

Re: チェンマイ デリカ@隊長  - 2006/10/26(Thu) 10:12:50 No.2645

家のモデムが死んでしまったので、外から書き込みです。

クラビでは 特に何もしていません。強いていうなら、読書かな? でも景色はいいし、海は温いし、のんびりできるところには違いありません。 ピピ島ですか‥きっといいところでしょうね。(行ってなのので、なんともいえませんが。)海はきれいと聞いております。 デカプリオの映画のロケ地でしたよね。

Re: チェンマイ 宿主 - 2006/10/26(Thu) 22:25:01 No.2646

ありがとうございました、現在は第一段階がほぼ終了し,明日はおさらいです,ゆっくり揉むと1時間半掛かってしまいます,第二段階も有るし全部行うとタイ人でも2時間掛かるそうです

チェンマイ3 2006年10月26日

チェンマイと言うタイ北部の街はタイで2番目に大きな街ですが人口は10ぶんの1位の感じです,のんびりしていて豊かな街です、物価も安いし過ごしやすいです

毎日,学校が4じに終わり宿に帰っておさらいをして,夕食を食べに繁華街まで遊と毎日かよってます、屋台だったり、日本食,ピザ、バーも面白そうですが,朝が早いので本気モードでは飲めません、マッサージ学校は土日は休みなので明日は飲めそうです 

チェンマイ4 2006年10月29日

第一段階が終了しました、フランス人男性とお医者さんの外人(国籍不明)と4名のクラスでしたが、同じことを習ってもかなりの差が出ています、モチベーションの違いなのかもしれませんがセンスもありそうです、お医者さんはさすがに器用です、明日から第2段階ですがお医者さんと僕らで3名のクラスです、マッサージ後の旅先を考えています、ラオスへいくかチェンマイ周辺にいるか後半は遊の希望でダイビングです、多分僕はビーチでのんびりです

チェンマイ5 2006年11月3日
マッサージの第二段階が終了しました、ロシア人のお医者さんと3名のクラスになりました、第一段階はドイツ人母娘,二組とうるさいおばさん(白人)5名になり,先生が不足気味になっていますが問題はなかったです,第一段階からの流れもあるので分かり易くなりましたが行うことは複雑でした,おそらく実践には不向きでしょう,先生も勉強だけどあまり行わないと言ってました,全部習ったことをやったら2時間でも足りません,ほとんどが1時間コースなので,それなりにアレンジするようです

明日はビザの延長のためミャンマーまで日帰りします,その後はパイと言うところでのんびりします,ラオスは1週間では忙しすぎるので次回と言うことになりました,今日からチェンマイはお祭りです

パイ 2006年11月5日

昨日は日帰りでミャンマーまで行きました、滞在時間5分、すぐに引き返しずっと車中だったし、運転手がへたくそで疲れました、今日はチェンマイから4時間くらいのところにあるパイという街までやってきました、バスは古く山道だったので遊は車酔いをし疲れたようです

パイで18年前にコルカタで会ったトロンという知人に会いました、うわさでパイに居るらしいとは聞いていましたがすぐに会えるとは思いませんでした

明日は遊とバイクをレンタルして周辺散策です、遊はバイクの練習を兼ねます

パイ2 2006年11月8日

パイでは午前中は曇っているので午後からの行動になります、昨日は珍しく雨が降り急に寒くなったように感じますが日中はかなり暑いです、バイクで滝に行ったり、今日は温泉に行ったり(入場料400バーツだったので入るのは止めました)近郊を散策しています、パイは観光地らしいところはないのでみんなのんびり過ごすためにきているようです、夜は毎晩飲みに出ているので酒代が高くついています

チェンマイで遊牧民ステッカーを1000枚作成しました、この夏の何人かのライダーたちにステッカーについてきかれましたがようやく作成することができました、なにせタイ製なのでカットなどに問題があるものもありますが前回以上に安く販売はできます、遊君デザインのオアシスステッカーも300枚作りました

ピピ島 2006年11月14日

パイからミニバスでチェンマイまでそこでバンコク行きの深夜バスに乗って、朝にカオザン到着、連続のナイトバスは疲れるのでVSに一泊、翌朝7時発のクラビ行きに乗ってアオナンビーチに18時到着、約1600キロ疲れました、クラビで2泊し、今はピピ島にいます、ハイシーズン宿は高いです、明日から遊はダイビングです、アドバンスをとる予定です、イントラも面白そうな若い日本人です、僕はビーチでのんびりですが晴れているのは午前中だけです

ピピ島2&帰国 2006年11月23日

ピピ島ビーチは南北の2つのビーチに分かれます、北側は港があり船の往来が多くゴミもありますが水深が深く泳ぐには良いです、少し沖に出るとシュノーケリングで綺麗な魚やさんご礁が見れます、歩いていけるポイントでこんなに綺麗なさんご礁や魚は沖縄以来です、両方とも綺麗な砂浜ですが南側は水深が浅く引き潮だった事も重なりどこまで歩いても深さはあまり変わりません、波がなく浅瀬の生ぬるい海は温泉のようでした、だらだら過ごしたり海で浮かんでたり遊んでいたら日焼けしすぎました、今は背中が悲惨な状態です

2日間ボーット過ごし、3日目はダイビングをしました、1時間を2本潜りましたが本当に綺麗な海でした、プランクトンが多く透明度はあまりないのですが、その分魚も多くさんご礁も今まで見たことがないような美しさでした

ピピ島でまた財布を無くしました、昨年のインドはボケて無くしたのですが今回は雨が急に降り出し慌てていたのですがしらふで落とし、2年連続だった事もあり、すごくショックでした

こんなことなら「伊勢海老くっときゃよかった、、、」遊はアドバンスを取得し島を出る日にも2本潜りました

ピピ島は津波で安バンガロウが流され、今でも完全には復旧してないようです、だから宿が足りずに宿代が値上がりしているそうです

夜行バスでバンコクに戻り翌日に香港まで戻りました、雨で肌寒い香港で2泊し、帰国しました、遊はバンコクから別便で1日早く帰国しました、今回は遊がチェンマイにて自転車でバイクと衝突転倒、パイでバイクに乗って犬を避けきれず転倒、2度ともかすり傷、ぼくは財布を無くす(ただしバーツのみ)等
ありましたが大事に至らず無事に帰国できたことに感謝いたします

出国前記には「タイ&ラオスの旅」と書いていますがラオスは来年までお預けとなりました



2005年 インドの旅(出国前記)

今回でインドは7回目、昨年に続きマイレージでデリーインです、今回は昨年行けなかったインド北部のマナリ−(標高2000メートル)へ行き温泉に入りヒマラヤを眺め様と思っています、デリーへ戻り、やはり昨年行けなかった南のゴアのビーチへ行こうと思っています、マナリ−は初めてですがゴアは84年にミチ子さんと2週間ほど滞在しました、ゴアはキリスト教徒の州なのでインドでも一味違います、魚介類も美味しかった記憶があります、どんな風に変化したか楽しみですがガイドブックによるとかなり観光化されているようです

ここからはインド旅行中に宿の掲示板に投稿した内容を題目ごと、そのまま掲載しました

インド 2005年10月12日

明日から11月25日帰国までインドです、掲示板に様子は書き込みます、今回はデリーからインド北部のマナリ−(標高2000メートル)へ行き温泉に入りヒマラヤを眺め様と思っています、デリーへ戻り、南のゴアのビーチへ行こうと思っています、マナリ−は初めてですがゴアは84年にミチ子さんと2週間ほど滞在しました、ゴアはキリスト教徒の州なのでインドでも一味違います、魚介類も美味しかった記憶があります、どんな風に変化したか楽しみです

到着 2005年10月16日

ニセコを朝6時に出発しデリーに現地時間19時過ぎに到着しました、昔は東京、バンコク経由で3日もかかっていた事が嘘のようです、一年が早すぎてデリーに着いてもあまり感動がありませんでした、デリーは2泊で通過し17時間の夜行バスに乗って現在は予定どうりマナリーに居ます

マナリ− 2005年10月22日

マナリーへ到着してもうすぐ1週間、ここは標高約2200メーター、周辺は6000メーターを越す山に囲まれています、今年は寒いらしく高い山は真っ白です、日中は半そででも大丈夫ですが日陰は寒いです、徒歩1分の場所に温泉があり毎日朝風呂です(夕方は入ると後が寒い)硫黄泉の温泉で内風呂と露天がありますがインド人の生活用なので人はいつもいっぱいで下で洗濯物や食器、羊まで洗っています、温度は適温です

マナリーは今までのインドには無かった珍現象もあります(ここでは書けません)年末年始の皆さんは直接聞いて下さい、食生活は悪くは無いです、レストランのメニューはインド中どこも似ていますが味付けが地域によって色々ですがここはチベタンが多いので大丈夫なのだと思います、山を眺める以外にすることが無いので町を散歩して食事してビール飲んで(標高が高いので酔います)ボーっとして夜は日本人と遊んで、、、

マナリ−2 2005年10月25日

温泉三昧のマナリーも夜は寒くなりテラスで過ごすことができなくなりました、日中は暑いです、最初からここは寒くなったら移動するだろうと思っていたので4,5日したら南に向かいます

デリー 2005年11月1日

寒さにくじけ昨日デリーに戻ってきました、土曜の夜に同時多発テロがあり宿の近くでも28人のインド人が死亡したようですが現在は平穏です、明日は南のゴアへ列車で41時間のたびです、長

ゴア 2005年11月6日

デリーから列車で41時間、2200キロ遠かったですが南国です、やしの木にハイビスカス、ブ-ゲンビリア、暑いです、ビーチにビール、インドではないです

ゴア2 2005年11月8日

ゴアはレンタルバイクがやすく通常で1日400円くらい、僕は2週間かりて2800円、1日200円くらいです、バイクがなくてもビーチなので不自由はないのですがビーチや町が数キロごとに点在しているのであれば便利で行動範囲が広がります、ヒーローホンダ100cc、安いし燃費がよいので決めました、スクーターやほかにもありますがインドもガソリンの値段が日本並みで高いです

ゴア3 2005年11月12日

デリーに戻る列車の予約に苦労しました、30キロ離れた駅まで買いに行き、帰りに警察にノーヘル、無免で捕まりました、免許は持っている、とにかくグダグダ言って、ノーヘルの罰金100ルピーで許してもらいました、無免は950ルピーの罰金、気分を悪くしてビーチに戻り日本人に愚痴こぼしたら彼は無免で400ルピー取られたそうです(彼は素直に払ったそうです)他の日本人はやはり僕と同じようにグダグダ言ったらタダだったそうです、やはりインドです

ゴア4 2005年11月18日

今日でゴアも終わりです、明日41時間かけてまたデリーに戻ります、ここはインドではありません、ハワイかバリのようです、毎日ビール飲んで、ビーチで寝転んで、夜は時々パーティーだったりして水曜は満月で楽しかったです、今日はロブスターを一匹食べました、おいしかったです、1時間以上かかりました、ちゃんとおいしいところを食べる人が少ないと、インド人の店員に食べ方をほめられました、確かに甲殻類好きでないとかなりめんどくさいです、ちなみに850ルピーでした、ビール飲んで税金込みで1150ルピーです。1ルピーは約2.7円

デリー 2005年11月21日

44時間かかってデリーまで戻ってきました、遠かったです

デリーの宿の屋上で比羅夫のロゴのシャツを見つけびっくり、持ち主の女性は去年の冬にゴンドラのケンタッキーに居たそうです、今シーズンも居るそうです、年末年始は現れるかも、デリーでアロマオイル、お香、紅茶、香辛料、などお土産を買っています、夜は寒そうです

帰国 2005年11月25日

無事帰国しました、JALだと飛行機に乗るとそこは日本です、乗客はほとんど60歳以上の日本人かスーツを着た日本人です、帰りは7時間くらいなので、時差を考えるとインドの午前3時に到着なので昨日は眠気と戦いながら成田から倶知安駅まで辿り着きました

 

 


2004年 インドの旅(出国前記)

インド旅行は6回目、デリーインは初めてです、デリーは何度か滞在した事がありますが20年ぶりです、今回はネパール西部のマナリ−、ネパール同様、山が綺麗でトレッキングも可能ですが、現在はトレッキングの予定はありません、山を見ながらのんびり温泉につかろうと思っています、ニセコでも同じ事やってますが、、、

83年と84年(ミチ子さん同行)に行った事のあるラジャスタンのジャイサルメール、この街は近代化されずに13世紀の街並みと文化が今でもほとんど残っている城砦都市です
城内のホテルの屋上から見た砂漠に沈む見た事の無い色の夕日、ホテルの屋上に泊まった時の今まで見た事が無かった星空 (96年家族で行ったネパールトレッキングのジョムソンの星空もすごかった)
キャメルサファリで野営した時の満月、等が今でも強く心に残っています、現在も有るホテルの宿主と仲良くなり唯一信用のできるインド人でした、彼に会う事も目的の一つです、ホテルはあっても今でも居るのかどうかは不明です

84年にミチ子さんと一緒に行った南部ビーチのゴア、ここは元ポルトガル植民地でキリスト教徒の州でインド人に気兼ねせず(他の州から来るインド人旅行者は厄介)、のんびりできますが現在はヨーロピアンリゾートと化しているようです、南国のビーチも是非行きたい

僕の旅のペースだと、この予定では8週間必要です、6週間でどこまで行けるか「インドのカルマ」によって決まります、ここまでは出国前に書いています、帰国後、実際の旅日記を掲載します、中国編もそうですが旅日記に掲載できない内容も多くあります、状況によっては宿でもお話できない時もありますが宿泊した時にでも聞いてください

2004年 インドの旅

10月12日

早朝6時に家を出る、千歳空港にて8時に羽田行きチェックイン、サラリーマンが多い、羽田から成田空港を目指す、出発1時間前の到着は両替などをしたのであわただしかった、JAL471便は定刻で出発、乗客は少なく、3人席を1人で使うことができた、日本人客室乗務にネパーリーかチベタンと間違われ英語で話しかけられる、ビールを飲みながら日本食の機内食、映画を3本見ると、時間を感じずにニューデリーに到着した、空港でスペイン人、日本人と3名でタクシーを拾う、ニューデリー駅に到着するが見覚えのない景色だった、すぐに駅裏に到着したことが分かり10分ほど歩きメインバザールのホテルに到着した、タクシーで同乗した日本人とバーへ行きビールを注文するが室内の雰囲気が悪かったのでテイクアウトしホテルの屋上で飲んだ、久々のインドの喧騒、かなり酔ってしまった

10月13日

外がうるさく時差もあり早く目覚めた、肌寒さを感じる?床屋へ行き髪を切る、洗剤や歯磨き粉を買い、朝食にモモを食べる(チベット料理)、湯沸し棒、水など買ってホテルへ戻り、散歩がてらに両替に出かけトーマスクックで合法的にぼられる、確認を怠った自分の責任です、耳掻きで有名な公園でマッサージをしてもらう、靴磨きや耳掻き屋が集まってくる、エアコンの効いたバーを見つけビールを飲む、直行便で来たので心の準備ができず、お土産屋でまたぼられる、寒さを感じるので毛布代わりにダブルサイズの厚手のシーツを買った、デリーは久々なので気候はこんなものかな?と思っていたがインド人も寒がっていた、酒屋を教えてもらう、ビール30ルピー、アルコール8%のストロングは40ルピー、道端で人が群がっているので覗くとフライドチキンが売っている、油が少々不安だったが(82年に油であたり3日間寝込んだことがある)スパイス抜きで売ってもらうがそれでも完全じゃないので辛いがビールとの相性は最高、今夜も気持ちよく酔って寝ることができた

10月14日

今朝は目覚めが良い、ドミトリーの日本人達に最近のインド情報を色々と仕入れる、バナラシから来た旅行者が数人いる、なんとなく楽しそうな情報だった、遅い朝食を食べ町をぶらつく、コルカタと違いここはまだ牛が町中歩き回っている、狭い路地ではリキシャやオートリキシャが牛のために渋滞している、話によると飼い主がいて町で放牧しているという話である、神様なので野良牛という話も聞いたことがあるが、確認したことはない、コルカタに居た乞食はいない、酒屋によってビールを買う、日本から持参した保冷袋が役に立つ、ホテルの屋上で日向ぼっこしながら下界を眺めると寒さのせいかインド人も日向ぼっこしている、また、町をぶらつき土産屋を覗き、冷やかしのつもりがつい買ってしまう、恐るべしインド商人

10月15日

早起きをして、ジャイサルメール行き列車の予約を取りにニューデリー駅の外人予約専用窓口へ行く、今日か明日のチケットが欲しかったが明後日しか取れなかった、インドでの列車予約は大変な仕事ですが大都市にある外人専用窓口は便利です、初めてインドに来た時は何時間も並んで買ったり、運が悪いと買えない事もあった、今日は時間も良かったのだが全く並ぶことなくチケットが買えた、町をぶらつきながら帰ると2軒目の酒屋を見つけた、1軒目のすぐ側だったが今まで気つかなかった、店員の対応が良かった

インドの町はどこでも何か新発見があり歩いていても退屈しない、ぶらぶら、疲れるとチャイ屋で休憩、ただインドも高度成長で車が増えているが古い車の排ガスはとてもひどく数時間ぶらつくと髪の毛はバリバリになり、鼻の穴は真っ黒になってしまいます

10月16日

昨夜一緒にお酒を飲んだ日本人3人が宿泊するドミに顔を出すと2人はバナラシへ出発準備をしていた、旅行者は皆若く話が合わないこともあるがインドの情報やインド人の悪口でお酒も入り昨夜は結構盛り上がった、残った日本人とビールを買っていつものようにホテルの屋上でのんびり過ごした

10月17日

ジャイサルメールへの移動の為、パッキングをして荷物をフロントに預け、今日も屋上で時間つぶし、16時過ぎにオートリキシャにて駅まで行く、西方面の駅は小さく列車を探す苦労は無かった、(インドの巨大な駅では人に尋ねてもあてにならない為に乗る列車を探すのに苦労する、列車が到着してからは自分の予約した車両、寝台の場所探しも大変です)ツーリストが10人ほど列車を待っていた、食料と水を買い乗りこんだ、コンパートメントではコリアンカップルと日本人中年と一緒になった、異常気象の為に夜は寒く、持っていたフリースや衣類を着込み、防寒用のシーツとタイ製のハンモックを重ね何とか寝る事ができたが熟睡はできなかった(インドの列車で熟睡できる事は殆ど無い)

10月18日

朝目覚めると何となくのどが痛い、窓からの風景は一変し砂漠とラクダが見える、窓を閉めると暑く、列車が巻き上げる砂はひどく、身体中砂だらけになった、耐えるしかないのだが、旅行者は辛そうだった、定刻より1時間ほど遅れ到着した、(インドでの列車の遅れは想定内です、昔より良くなっているそうですが2、3時間の遅れはあたりまえです) 僕は馴れているが駅前の客引きの酷さをガイドブックに書いてあったが警察が立ち並び、客引きは手招きしているだけで改善されているようだ、適当に客引きに捕まり、ジープで宿まで連れて行かれるが城外だったので宿を断り歩いて城内まで行った(よくある事だが客引きは城内だと嘘をついた) 城内ではまた別の客引きに連れられ目的のホテルに辿り着いた(客引きは僕が目的のホテルが気に入らないと自分の知っているホテルへ連れて行き、リベートを貰うと言う目的がある)

ホテルのフロントにでっぷりとしたおやじが座っていた、太っているが目元でスリヤだとすぐに気づいた、一応「スリアを探している」と伝える、すぐに「俺だ」と返事が返ってきた、不思議そうにじろじろ僕の顔を見ていて、しばらくして僕だと気づいた、20年ぶりの再会だったが彼は当時の事を僕以上に覚えていた、奥さんや娘が出てきたので昔撮った写真を見せるとスリアの痩せた頃の姿を見て笑い転げていた

昔泊まった旧館は17歳の息子が運営しているとの事だが新館からの砂漠の眺めが最高だったので新館にお世話になることにした、幸運にも?ここのホテルでは冷えたビールを常備しているので、部屋の前のテラスでビールを飲みながら砂漠を眺めると景色は変わらず20年前を思い出した、ここは83年に2週間ほど滞在し別のホテルに宿泊していたがスリアと仲良くなり(旅の中で唯一信用できるインド人だった)、84年にミチ子さんと一緒に再訪し、2週間滞在した、初日は部屋が満室で屋上に宿泊したが、砂漠の星空に圧倒された鮮明な記憶が残っている

夕方、列車で一緒になった日本人がホテルに訪ねてきたので一緒に食事した、体調が良くなかったので早く寝る事にした、蚊がうるさかった

10月19日

暑さもあり、体調は良くない、フルーツや野菜、持参した日本食を食べる、こういう時はじっとしているしかない、夕方、気温も下がったので散歩がてら街を歩き、蚊取り線香を買う、綺麗な夕陽が印象に残っている砂漠の町だったが今日は綺麗じゃなかった、今日も早く寝た、蚊取り線香があるので蚊に悩ませられる事はないだろう、ただし、インドの蚊取り線香は弱く、蚊が弱って行動はしないが死ぬ事は無いようで死骸を見た事は無い

10月20日

早寝すると当然早起きになってしまう、ようやく体調が良くなり城外を散歩する、この街はホテルのある城内、と城外に分かれる、城内でも町が形成されているのだがバザールは城外にあるので買い物は城外でする事が多い、酒屋を見つけるがホテルとビールの値段が同じでデリーの約3倍と高い、ぼっているのかと思ったが他の店も同じだった、州によって税金が違うようだ、美味しいチーズとパン屋を見つけた、今日の夕陽もいまいちで、星空も昔見たように綺麗じゃない、良く考えると前に来たのは2回とも春だったので今回は期待できないかもしれない、昼寝を長時間したので寝つきが悪い

10月21日

城内側の内窓を開け朝のさわやかな空気を取り入れようと思ったら隣家では羊の解体が始まっていた、食事前なので途中は見なかったが食後には足が一本だけ壁からぶら下がっていた、

朝食は主にチャイ、パン、チーズなど、宿主のスリアはインド人では珍しく自ら調理をします、ベジタリアンなので肉は使いませんがフライドポテトや茹で野菜等シンプルな物に僕が日本の調味料を使い味付けして食べます、ラジャスタンは20年前よりは観光客が増えたので少し改善されましたが相変らず食生活は悪いです

昼食後、ビールを飲んで気持ち良くお昼寝をしていると、絶悪のタイミングで列車で一緒だった日本人が来た、寝ているのでまた来て欲しい事を伝えるが屋上に居て帰らないので起きた、当然、僕の機嫌は悪く、彼はインドではとても珍しく2ヶ月近くも旅をするのに全列車の予約を取り、すべて計画的に行動をする超人で、しかも興味の湧く面白い旅の会話が全く無いので益々一緒にいるのが嫌になり一人で外へ出た、列車でホテルの名前を教えた事を珍しく後悔した

城門近くのジュース屋でインド人を眺めているとインド人母娘の姿が目立つ事に気付いた、インド人旅行者と思うが娘はパンジャビドレスでとても美しいのだが、サリー姿の母は皆でっぷりと太っている、インドの女性は痩せることは貧乏を意味する為に大人になると太ってしまい、顔は似ているのだが娘の頃の面影が消えてしまう

10月22日

朝から羊の鳴き声がうるさい、また解体?と思ったがただ繋がれているだけだった、1日中鳴いていた、城内を散歩し、城外に出てビールを買って、砂漠を見ながらのんびり飲む、1日の行動パターンが決まってきている、今日は夕陽が綺麗、この時間になるとハンモックも快適になる(日中は暑過ぎる)、リトルチベットレストランへ行くが満席だったので城門前のドイツベーカリーにてサンドイッチ、チャイ、モモを食べる、モモは辛すぎる、本来のモモは辛くないのだが、、、

10月23日

昨晩は何故か寝つきが悪く、その為に遅い時間に起きた、6日目にしてようやく他のツーリストが泊まりに来た、他の宿のように客引きをすればもう少しお客さんが来ると思うがここではやっていない、だらだら過ごしていると3時を過ぎてしまった、リトルチベットでフライドライスを注文したがグリーンチリがしっかり入っている、とても辛い、ガイドブックには人気のレストランと書いてあるし、お客さんも入っているのだが、、、欧米人は皆、パン類を食べているようだ、イタリアンも有る、過ごしやすくなったので砂漠を歩き、オアシスの側でビールを飲みながら、夕陽が沈むまで過ごした、ただ湖の水は汚れているし、人も多く居心地はいまいちだった、その後ホテルの屋上で砂漠に昇る月を眺めながら過ごした事の方が気持ち良かった

10月24日

毎日のんびり過ごしているが同じ事の繰り返し、今日はソフトクリームが美味しく、ムックリのような音の出る楽器を買い、気に入ったブレスレットを見つけるが高く、値引きしないので諦め、ジンを買って帰った

10月25日

スリアが砂漠の中に建築中の3軒目の宿をサファリに出かけた客を迎えに行くついでにジープに便乗させてもらい見に行った、3000坪くらいの敷地は塀で囲まれ3角に小さな建物が建っている、1つはトイレだが周囲の人に方角が悪いと指摘されたので壊すとの事、まだ母家は建っていないが銀行の融資の話しが進んでいるので直に建つそうだ、大きなホテルのオーナーが夢だと言ってるスリアの声が元気だった、成功する事を祈った、約2時間ほど滞在し街へ戻り、昨夜のブレスレットを再交渉したがやはり値引き無し、ビール4本分なんだがやはり高く、買う気にならない

10月26日

朝はヨーグルト、チャイ、昼はサンドイッチ、チャイ、ネットをやって街をぶらつきビールを飲んで1日が終る、夕食はどれもまずい、唯一スリアの作るフライドポテトだけが美味しい、食生活が悪いのは20年前も同じだった記憶がある、そろそろ移動しようかな?

10月27日

列車の予約を取りに駅に行き、31日のデリー行きが取れた、デリーからゴアへ行く予定だったが日本人の話を聞くと面白そうだったのでバナラシへ行こうと決めた、今日は満月の筈だが体調が悪いので早く寝る事にした

10月28日

オアシス側の湖へ行き砂漠でビールを飲むが体調が悪いのか美味しくない、食生活の悪さからのような気がする、昨夜から2軒隣の屋上にレストランがオープンした、観光化が進みホテルやレストランが増えている、満月を見る為に屋上へ行くが風が強く止めた、風は強さを増し、風の音しか聞こえなくなった、外へ出てみると砂嵐になっていた、初めて経験した、視界は50メートルくらいしかなかった、更に風は強くなり部屋の中まで砂が入ってくるので窓の隙間やトイレの窓に新聞紙を詰め進入を防いだ、しばらくすると街の雑音が聞こえるようになり音楽が聞こえてきた、何かのセレモニーなのか深夜まで音楽は続いていた

10月29日

今朝の気分は悪くない、城内を散歩して気づいたが少し気温が下がった気がする、砂嵐は北風だったので季節が変る前兆だったのかな?やはり日中でも日向が暑くない、珍しくインド人カップルが泊まりに来た

10月30日

午前中ゲート側の広場で人間ウォッチング、インド人学生、インド人グループ、白人グループなど団体客は午前中に集中するようで、彼らを目当ての物売りや音楽隊はお昼になると帰ってしまった、ジャーマンベーカリーで久々に日本人と会った、夕食をリトルチベットで一緒にとり、彼はロングフットというものを注文したが一口食べて止めてしまった、僕はスパゲッティ−を注文した、何とか食べる事が出来たが二度は注文しない、夜に彼はジョートプルへ向かった、皆、動きが早い

10月31日

今日移動するので気になっているブレスレッドを見に行き、値引きしてくれたので買うことにした、今回は簡単に値引きしてくれたのだが、今まではなんだったのだろう?体調が良くなり久々にビールが美味く2本飲んだ、リキシャで駅まで行き列車に乗った、車内はガラガラだった、途中から乗りこんでくるのだろう?

11月1日

思ったより良く寝る事ができ8時過ぎまで寝ていた、デリーに近づくに連れ人が増えていく、態度の大きいインド人が予約も無いのに席を少し空けろと言う、無視すると隣の席に無理やり座った、しばらくすると更に人が増えたが、先ほどのインド人は座席を占拠し、人には譲る気はないようだ、お昼にデリーに到着した時は3人掛けの僕の席には6人座っていた、パヤルホテルにチェックインしマックを食べたいと思っていたらドミの日本人がベットの上でマックのチラシをじっと眺めていたので、「今から僕は食べに行く」と言ったら意気投合し、ビールを飲みコンノートプレースのマックに行った、フィレオフィシュの味は良かったがチキンバーガーはぱさぱさし、インド味で辛い事が予想されたがせっかくなのでマハラジャマックを注文したら予想通りだった、マックから眺める風景は他では見られないファッショナブルな女性が多い、マックの若い女性店員は初めて見る愛想の良いインド人女性だった(本来インドでは宗教上若い女性は接客しない)、両替屋を探し良いレートで交換する事が出来た、10年近く保険のつもりで持っていた日本円のトラベラーズチェックがなくなった、肉に飢えていたのでタンドリーチキンを夜に食べた、肉は美味い

11月2日

宿泊している部屋が今回は通りに面してなく静かで良く眠る事が出来た、コンノートのピザハットで昼食を取り、子供達に頼まれた数珠を探しお土産屋を回っているとジャイサルメールであった日本人に再会した、冬用のネパール製毛糸の帽子も見つける事が出来きたりデリーは安く買い物が便利だ、夜はドミで日本人5人と酒盛りになった、日本人専用ドミらしいが色々旅人が来て面白い

11月3日

20年前にもあったゴールデンカフェでチャーハンを食べた、久々に米を食べた気がした、瓶入りのマンゴジュースも久しぶりで美味しかった、夜は日本人らとステーキを食べに行くが飲みすぎで?体調が悪くなり仲良くなった日本人の見送りも出来ずに寝てしまった

11月4日

食生活が改善されたので明日のバナラシ行き列車を予約した、ミチ子さんに頼まれていた紅茶、香辛料屋を近くで見つけた、帰国前に買うので値段だけ教えて欲しいと言ったら素直に教えてくれた、インドでは「今買った方が良い」と言われる事が多い、日本人と一緒に日本食メニューのあるレストランへ行くが店員の態度が最悪、ノンアルコールビールを普通のビールだと言うし、連れの日本人は3度もお湯を注文したし、オーダーを間違え、味は最悪、さすがにオーナーに直接、店員の態度の悪さ、オーダーの間違いなど説明したが店員は自分の非を全く認めない、宿に帰ると昨夜日本人たちが話していた3人組みのスイス人女性らと屋上で会った、スウェーデン人の間違いだったが日本人に興味があるらしく遅くまで話した、この時彼女らはクリスマスにはプーケットヘ行くと言ってたが津波の被害にあってない事を願っています

11月5日

チェックアウトし荷物を預けキングカフェへ行くが昨夜と同じく同行した日本人は変ったメニューを注文した、やはりまずい様だ、列車の出発時間が近づき駅へ向かう、見送りをしてくれた日本人は皆居なくなり寂しそうだった、列車はスイス人夫婦、ドイツ人女性2名、イギリス人男性と同じ場所だった、スイス人夫人は20年前にインド人と結婚しベナレスに住んでいたそうだ

11月6日

いつもの事だが列車は2時間近く遅れて到着した、睡眠不足で何となく体がだるい、イギリス人とドイツ人らとリキシャを相乗りしホテル探しをするがなかなか見つからないので彼らと別れガンガーへ出て久美子ハウスを探した、火葬場で死体を焼いている側を通り見つける事が出来た、タイ人と接客中の久美子さんは僕の姿を見て「しまった」と日本語で言った、今シングルルームがいっぱいになり、ダブルルームしか空いてないとの事だが部屋を見るとガンガーに面した明るい部屋だったので泊まることにした、僕が高いダブルルームに泊まると思っていなかった久美子さんは喜んでいた、屋上へ行くとデリーで会った日本人が居た、屋上からガンガーの眺めは最高だった、ビール屋を探しに行くが聖地ガンガー近くでは販売禁止らしくかなり歩いた、おまけにぼられた、久美子ハウスは2食付で日本風の味付けで美味しかった、噂に聞いていた3ヶ月も日本人宿に滞在しているフランス人男女(一緒に旅をしているが恋人ではなく幼馴染らしい)に会った、女性のマヒヨンは日本の漫画にかなり詳しく日本人が置いていった漫画の通訳をして盛り上がった、睡眠不足で眠気がしたので寝ようと思ったが屋上で死者を送るプージャの鐘の音を聞いていると眠気は去り何とも言えない感覚になり、ガンガーに洗礼を受けたような気がした、バナラシは本当に聖地だ

11月7日

「ご飯だよ−」の声で目覚める、料理を皆で運び朝食、屋上で食べる方が気持ち良い、ガンガー沿いの裏小路を散歩する、雨季にはガンガー沿いが歩けないのでこの小路がメイン通りとなる、布やで座布団やランチョンマットの生地を見つけた、ネパール製の厚手生地もあり値段も適正だったので古いバックを持っていき同じデザインでオーダーした、列車で一緒だったスイス人夫婦も居た、20年前も利用していたそうだ、やはり信用できる店のようだ、子供らに頼まれた数珠を見ているととても気持ち良い接客態度だったので思わず買ってしまった、バナラシは真面目な人とそうでない人の差が激しい

11月8日

久美子さんの夫、シャクティさんの「ボートが来た−」の声で早朝に起こされる、英語でも同じ事を言っているがうるさい、この声が嫌で宿をでる旅行者もいるらしい、ビール屋へ向かっていると変なおやじがついてくる、間違いなく悪人だ、ビール屋までついて来た、ぼった値段を言っている、昨日と同じ値段だったので他を探すと以外に近くにあった、値段も適正でインド人が店の中で飲んでいるので一緒に飲んだ、インドではイスラム教徒に遠慮してかアルコール類はこそこそ飲んでいるよう思える、宿に戻りほろ酔い気分で音楽を聴きながらガンガーを眺めていると死体らしき物が流れてきた、ここは聖地バナラシ、ヒンズー最強の神シバの街、やはり他の場所とは違う、旅行者は何を感じるのだろう?本当に不思議な街だ

11月9日

朝食後から屋上で和んでいると99年のインド家族旅行の時にコルカタで出会った日本人ののびさんと再会した、彼は僕らに会った後からずっとバナラシに滞在しシタールの勉強をしているそうでかなりの腕前だった、コルカタではプリーで再会する約束をして別れ、僕らはダージリンを旅し、プリーへ行く直前にプリーが大サイクロン(台風)に直撃され旅行できる状態ではないとわかりプリー行きをやめた為にのびさんとは再会できなかった、のびさんの話によるとプリーはサイクロンの被害で2週間、水や電気が止まり動物の死体が散乱していたとの事、駅直前で列車に60時間閉じ込められ、水や食料が無く大変だったと言う話しも当時コルカタで聞いた

11月10日

久美子ハウスには旅人が居なくなりとても静か、のびさんの話によるとこんなに人が居ないのはめずらしいとの事、オートリキシャをつかまえサルナートへ向かった、渋滞を避け石畳の裏道を使うのでボーとしていると振り落とされそうになる、30分ほどで幸子の店に到着したが店のカギはしまっている、中からインド人が出てきたが友人のビノードは日本の奥さんと子供に会いにいっているとの事、2,3日後に帰って来るとの事なので仏教聖地サルナート観光をして戻った

11月11日

ぐっすり寝る事が出来た、バックの注文をして、ランチョンマットと座布団カバーのサンプルをお願いし宿へ帰るとビノードから電話がかかってきた、明日またサルナートへ行く事を約束した、フランス人のバリがカーリー祭りの為のローソクとオイルを買ってきた、屋上にローソクとオイルのランプを飾り遅くまで屋上でのんびりした

11月12日

サルナートへ再びオートリキシャで行き、ビノードは店で待っていた、彼がニセコに来た時以来なので17年ぶりの再会だった、すっかりおやじになりやはり太っていた、彼は日本人の幸子さんと結婚し札幌に住み、富良野の旅人コンサートで知り会った、インド帰国後に日本人団体旅行者向けの仏具土産物屋を開き成功した、自宅は立派な3階建てで運転手付自家用車も持っている、息子の悟君の部屋に泊めてもらった、ウルトラマンの人形がガラスケースに何十も飾られている、悟君が幸子さんとニセコに来た時にあげた子供達が使っていたウルトラマンの人形もこの中にある筈だ

11月13日

お祭りの爆竹の音はすごかったが熟睡できた、朝チベット寺まで村を散歩し気持ち良かった、テラスでくつろいだ後に店に行くとビノードの兄弟たちがいた、皆ビノードの手伝いをしているそうだ、近くでは彼らの両親が昔ながらの土産物屋をやっている、息子がいくら稼いでも、家を新築しても昔の家に住み生活を変える気は無いとの事、午後バナラシヘ戻ると宿は数人しかいなかったのに満室になっていたので驚いた、座る場所がなく夕食は屋上で食べなければならなかった

11月14日

朝から元気なイスラエル人のイタイ、アメリカ人のメグ、韓国人のベーやんら日本人以外の旅行者も新たに来た、長期滞在のフレンチコンビ、日本人宿なのに国際色豊で楽しい、夕方に日本人数人とボートを貸し切り対岸へ渡った、対岸は不浄の地なので人は住んでいない、砂地で一見綺麗なビーチのようにも見えるが少し歩くと人だか動物か判断できないが骨が転がっている、葉で出来たプージャの小船を少女から買って火をつけ船から流した、ガンガーのゆっくりした流れに乗り、いつまでも火は消えなかった、暗くなり船から見た花火は綺麗だったが祭りの名残の爆竹の音がうるさく深夜まで続いた

11月15日

朝食後から元気なイタイと一緒に日光浴、デリー行きの列車の予約をしようと思っていたが洗濯したり屋上でまったりと過ごしていると夕方になってしまった

11月16日

布屋に行き最終オーダーをして駅までリキシャで行きデリー行きの列車を予約した、チケットは簡単に取ることが出来、帰りは日本人と割カンで戻った、毎日何かをするわけじゃないがガンガーをボーっと眺めて、旅行者達と旅の話をし、のんびり過ごすと一日が終ってしまう

11月17日

またフランス人男性が来た、「日本人宿にどうしてくるのか?」との質問に「前に来た時も楽しかった、日本人は好きだ」との答え、フレンチコンビや他の日本人以外の旅行者に同じ質問をしたが帰って来る返事は同じだった、あちこちの日本人宿に泊まった事があるがここはめずらしい

11月18日

ガンガーでインド人が集まって何かお祭りの儀式のような事をやっているが詳細はよくわからない、バナラシは聖地のほかに布織物が有名なのと有名な演奏家達が住み、彼ら指導のもとインド楽器の習得の為に滞在している旅行者が多い事でも知られる、のびさんもシタールの勉強の為にずっとここに居る、宿の外人らも近くの楽器屋でタブラーの初心者講習を受けているのを時々見かける、昨年の中国で会った日本人もここでシラールを買って陸路でチベットを超え旅していた、しかし彼はすごく大きな楽器を持って旅する事に疲れたと言っていた事を思い出した、夕方オーダーしたバックを取りに行くがまだ出来ていなかった、インドではよくある事と諦める

11月19日

朝早くから昨日の儀式のような事をまたやっていて騒がしい、爆竹の音がうるさく寝ることができない、シャンティさんの声も今朝はよく聞こえないくらいだ、サルナートへ行こうと思っていたが朝食後から屋上が楽しくだらだら過ごしていると行く気が失せてしまった

11月20日

今朝日本人の面白そうなカップルが来た、サルナートへ向かおうとするがオートリキシャの値引き交渉がなかなかうまく行かず結局今までの倍近く払った、道もかなり遠回りしている、いつもの道が使えないようなので高くなったように思えた、ビノード君は店に居た、日本人の団体客が時々来る以外はかなりのんびりしている

11月21日

注文したランチョンマットと座布団カバーを受け取りに行き、バックは約束より遅かったので安くしてもらった、布は薄手な事が気になったが他に良いデザインの物が見つからなかった、2000年にコルカタで作った時よりはかなりスムーズにできた事は確かだ

11月22日

今日はバナラシ最後の日だ、迷っていたがガンガーで沐浴した、思ったよりは水はきれいで暖かだった、インド人は沐浴後に水で流すなんてしないが宿に帰りシャワーを浴びた、、、夕方、有名な音楽家のコンサートに行くが遅れて行った為に人が多く皆と合流できず早めに宿へ戻った、宿は久々に静かで屋上でのんびりすごすことが出来た

11月23日

チェックアウトを済ませ荷物を預け、日本人のシバさんフレンチのギオンとレストランへ行き屋上で過ごした、渋滞の中リキシャで駅まで行き列車に乗り込んだ、日本人女性、韓国女性、欧米人カップルと同じコンパートメントになった

11月24日

熟睡はできなかったが目覚めは悪くなく、日本人女性が近くに座ったので話し、列車は4時間近く遅れ12時頃にデリーに到着し、彼女と一緒にパヤルホテルへ向かいチェックインした、ゴールデンカフェで遅い食事を一緒に取り別れた、彼女はマナリーへ夕方の列車で行くそうだ、香辛料やダージリン、アッサムなど紅茶を買い、ビールを買いに行ったが店は2軒とも休みなので仕方なくバーへ行き2本買って帰った、宿で1ヶ月前に会った日本人女性と再会したが今晩の列車でマナリーへ今朝の女性と一緒に向かった、同じ様にデリーであった関根さんとも再会した

11月25日

304号室は眺めが良く明るいが通りに面しているので朝から騒がしい、チェックアウトし荷物を預けコンノートをぶらつきマックでお昼を食べ、残りのお金でお土産を買いビールを買ってホテルの屋上でのんびり過ごした、4時過ぎにタクシーでインディラガンジー空港へ向かった、出国なのにチェックは厳しかった、待合室は日本人であふれていた、隣席のツアー客が腕に巻いていた数珠に見覚えがあったので尋ねるとサルナートのビノード君の店で買ったとの事だった、

11月26日

朝2時に朝食の為に起こされた、当然食欲は湧かないが窓から見える雲海の上の満月がとても綺麗で印象に残った、JAL機は定刻前に日本に到着した

 

ここからはインド旅行中に宿の掲示板に投稿した内容を題目ごと、そのまま掲載しました

インド到着 2004/10/15(Fri)

インドへ来て4日目、JALマイレージでニセコを6時に出てデリーの町に22時(時差3,5時間)に着いたのは早くて便利なのですが旅の感覚や、英語がなかなか思い出せなくてミスばかりして授業料を払ってます、トーマスクックに合法的にぼられたのはショックでした、レートを確認しなかった僕のミスです、インドも異常気象のようで夜は肌寒いです、インド人もこんなに早く季節が変わり始めるのは初めてと言ってました
寒そうなので北は止めてまっすぐ砂漠のラジャスタンに行きます

ジャイサルメール 2004/10/21(Thu)

デリーから20時間の列車の旅で砂漠の町につきました、列車は思ったより寒く、少しかぜをひきましたが、今は大丈夫です、20年ぶりに訪れたホテルのオーナーはふっとっていましたが結婚して二人の子どもができ元気そうでした、ここのオーナーは僕が知る唯一便所掃除をする、インド人ホテルオーナーです、支店が2軒できても(砂漠の中の3号支店は建築中)今でも掃除や料理をしている変なインド人ですが僕が信用できた唯一人のインド人なので居心地は最高です、2号支店は砂漠が見渡せる絶好の場所にあって毎日砂漠をボーと見て一日過ごしてます、ビールが簡単に手に入るようになっていたのは誤算?

砂漠 2004/10/25(Mon)

砂漠の街に着いて早くも1週間です、毎日、ボーと砂漠を眺め、時間帯を変えるとちゃんと変化してます、ストロングという8%のビール飲んで、うまいものはほとんどありませんが、のんびりの極みみたいなものです、このあとは南に下がってゴアまでいこうと思ってましたが遠いので止めにして、聖地バナラシを目指そうかなと考えています

砂嵐 2004/10/29(Fri)

毎日、砂漠をボーと見る生活からガンジス川を見る生活に変えるためにデリーに31日の列車で戻ります、まだ、南部のゴアもあきらめていませんが、遠いので多分、海はバナラシから4年前に行ったプリーへ行くかな?昨晩は満月を楽しもうと思ってましたが風が強くなり砂嵐状態でしかも北風のなので寒かったです、今朝もいつもより涼しく日向が暖かい状態でした、砂漠は食べ物がまずいです、ここを移動する理由の一つです

マクドナルド 2004/10/31(Sun)

今年は日本人旅行者が少なく代わりに韓国人が多いそうです、昨日は久しぶりに日本人に会いましたが彼も食べ物がまずくデリーまで行ってマックに行きたいとこぼしてました、彼もカレーはだめだそうです
食生活が悪いと精神にも悪影響があると彼も言ってましたが僕もそう思います、ひとまずデリーで食生活を改善しようと思います、2週間以上肉を食べてません肉食べたい、インドは牛とブタがだめなので、鳥か羊です、ここには鶏はいないけど砂漠で羊飼いがいるのでどこかで食べれるはずなんだけど、、、

マック 2004/11/05(Fri)

デリーに戻ってきました、マックに行こうとしていた日本人がいたので、一緒に行ってきました、フィレオ、ポテト、インド人の接客などは日本と同じでした、マハラジャバーガーはビックマックに形は似ていますが味は予想道理のカレー味、チキンが主ですが、味は今一でした、ピザハットにも行きました、味は日本と変わらなかったけど高いです、あれこれデリーで食べれる美味しいものを探し(日本食は高いので行ってません)体力も気力も復活?今日の夜行でバナラシへ移動します、バナラシはインドの聖地、長期滞在している旅行者も多いようです、居心地が良く、近くのサルナートに住むインド人の友人が居たら今回の旅はここで終わりそうです

バナラシ 2004/11/09(Tue)

インド最高、最強の神様シバの街バナラシに着きました、久美子ハウスという日本人宿にいます、ここで99年に家族でインドに行ったときにあった日本人に再開しました、もう1年近くいるそうです3ヶ月いる変わったフレンチのカップルも面白いです、今回会う旅行者は20歳前後の若者が多いです、ガンジス川で沐浴すると今までの罪がチャラになるそうです、一度くらいはつかってみようとおもっています、でも平気で死体が流れてくる川につかれるかどうかわかりません

バナラシ 2004/11/22(Mon)

バナラシに来て2週間です、パソコン事情が悪く、メールチェックだけで1時間以上かかります、でも、今日はとても早いです
バナラシでは日本人宿に外人が多く泊まり変ですが面白いです、毎日ガンガーを見てますが未だに沐浴はしてません、出来そうに無いです、とにかく汚いです、毎日沐浴している日本人もいますが、、後2日でデリーに戻り帰国ですが沐浴はどうしようか迷ってます、サルナートのインド人の知人にも会う事が出来彼にも、せっかく来たのだから一度位はやったほうが良いといわれました

沐浴 2004/11/23(Tue)

昨日ガンガーで沐浴しました、インド人に混じってやりましたが、思ったより水はきれいでした、今日の列車でデリーに戻り帰国します

とりあえず現在は掲示板に掲載したものだけですが、後日(いつになるかは判りません)、もう少し詳しい内容を付け加えたいと思っています

 





2003年 SARS真っ只中の中国旅行

JALとJASが合併、マイルが合算され札幌から雲南省昆明まで無料で行ける事が判り、02年の秋にチベットへ行こうと決めた、前回は秋で寒かったので初夏に旅の予定を組み、03年4月に予約を入れ、旅の準備をした。この頃SARSが新聞やテレビで頻繁に報道され、広州、香港、次々に広まり北京まで感染者が出た頃には知人らに中国の旅の話は出来なくなった

5月6日

出発前にSARS騒ぎが拡大し関空−昆明JAS便がキャンセルとなり関空−北京(JAL)−昆明(チャイナエア)に変更、この頃は北京がSARSで大騒ぎしているピークでしたので少々不安もありましたが北京滞在3時間なので問題なしと判断しました、千歳空港から関空、関空近くの旅館で1泊、日本の旅館に泊まるのは久々でした

5月7日

旅館を8時半過ぎに出て9時にJALのカウンターで北京行きのチェックインをお願いすると北京から昆明行きのチャイナエアがキャンセルになり北京で1泊しなければならないと告げられるが北京での宿泊は嫌なので他のルートを探してもらうことにしてしばらく空港で待ちました、空港呼び出しの放送がながれJALに行ってみると後15分で上海便があり上海から昆明まで中国東方航空が運行しているとのこと、ただし、上海では国際線空港から国内線空港に90キロの移動があるそうで、、、こちらには他にルートがないので了承し、慌てて上海便に乗ってしまいました、上海まで約2時間、JALの機内食は美味しいです、空港に到着すると飛行機に白装束の中国人が体温計を持って乗りこんできました、全員の体温測定が終り無事?入国

空港内はマスク姿の職員や乗客が目立ちました、私もとりあえずマスクをしました、浦東空港から虹橋空港までは立派な高速道路で結ばれ約1時間です、上海の街は19年ぶりです高速道路から見るだけでしたが私が知っている上海とは全く違う町でした

虹橋空港ではまず、SARSの問診表の記入、サーモグラフィーによる体温測定、昆明行きの飛行機の中で再度体温測定、昆明まで約3時間、飛行機内でお土産に空気枕をもらうが中国の航空会社らしい?昆明空港到着、また、問診表と体温測定、空港で知り合った日本人とオランダ人と3人で茶花ホテルへ宿泊する、ここでも体温測定、今日だけで5回も体温測定をしました、街へ食事に出ましたが昆明の街ではマスク姿の人は居ません、旅行者はレストランの入店を拒否される話を聞いていましたが昆明は大丈夫でした、後で聞いた話によると一時旅行者がSARSを広げていると噂が中国で広がり、実際に入店を拒否された旅行者にも合いました、ここのホテルの話によると麗江(雲南省)は閉鎖されているが、チベットは大丈夫とのことでしたが旅行者の話では閉鎖されているのではないかとの情報でした

5月8日

同宿した日本人とオランダ人はラオスに向かうとのことで朝からラオスのビザ取得の為に領事館へ行き午後のナイトバスでラオス国境へ向かう事になりました、私はしばらく昆明に留まり周辺観光をするか、チベットを目指すか悩みましたが周辺はあまり見所がないしチベット情報は成都まで行かないと正確な情報が判らないので夕方の飛行機で成都まで飛ぶことにしました、空港では問診表の記入と体温検査、飛行機は50人乗りくらいの小さな飛行機でパンダの絵が書いてある四川航空です、約1時間のフライトでしたが四川省は厚い雲に覆われ何も見えません、ここはパンダの故郷で四川料理が有名です

空港からのリムジンバス隣の中国人のおばさんが突然日本語で話しかけてきました、おばさんは日本人で成都に住んでいるそうです、日本人は何処でも居ますね、旅行者から教えてもらったドラゴンハウス(龍堂)ゲストハウスに8時前に到着しました、ここは450年前からある古い町で大都会の中にある下町です、早速チベットの事を聞きましたがやはり空路では入れないようです、大瓶ビールは水より安く約30円です、危険?

5月9日

チベットは現在閉鎖されているがSARS次第ではオープンするかも?

チベットが開くのを待つか、雲南省、四川省、ラオスとタイ、選択肢はこれくらいであったが結局は成都の居心地が良いためにどうしようか考えている間に時間がどんどん過ぎて行ってしまう、同宿のフランス人から明日はテレビの撮影があるから一緒に参加しないかと誘われる

5月10日

朝起きる事が出来たのでテレビの撮影に参加することにしました、成都テレビの取材で中国の若者が外国人旅行者と一緒に成都観光を自転車でするという設定で、僕にとっては成都観光が一緒に出来ラッキー?参加者は中国人、フランス人女性、フランス人男性(かなりの変わり者)、16歳のイギリス人女性、日本人、5名でまず人民公園へ行き、ここではお茶を庭園でいただきました、中国人の習慣にもなっているティータイムです、怪しいマッサージ師(耳掃除もする)が寄ってきて全員やってもらいましたが最後に料金でテレビ局の人ともめ、中国人もかなりボラれました、昼食は豆腐料理専門、恐らく精進料理かな?豆腐で鶏肉もどきや、魚もどき、豚肉もどき等でした、最後にお土産屋さん巡りです、自転車での移動、毛沢東公園(正確な名前ではない)での撮影、本当はユースで自国料理を作るなどもありましたが時間が足りず中止になり終了しました、こんなんで番組が作れるのかな?この撮影の感想です、番組は2週間後に成都で放送されるそうです

5月11日

昨日まで良い天気でしたが地元に人に言わせると成都はあまり天気は良くないそうです、四川盆地はいつも雲に覆われているらしいです、どんよりした天気が続くそうです、周辺を散歩しましたが古い町並みは中国らしく,通りではお茶,マージャン,トランプ、中国人はのんびりしています,ただし,新しい町並みはマック,ケンタッキー等日本の都会と同じです,成都は人口3百万人の大都会ですがユース周辺だけは別世界です

5月12日

両替が何処でも出来ずわざわざ中国銀行まで行かなくてはなりません同じ中国銀行でも日本円のチェックは両替できなかったりです、タクシーに乗って両替に行きました、ついでにビザの延長を試みましたがまだ早いとのことで追い返されてしまいました、がっくりです、インドなどでは良くある事ですが、、、中国は両替やビザ延長は遅れています、1日に一つの事しか出来ないのはインドやネパールと同じだとアメリカ人のジョゼフに言われ納得してしまいました

5月13日

町をぶらぶらしていると何処かから民族音楽が聞こえてきます、音の方を目指すと大学の構内で民族衣装を着た若者たちが踊っていました,5つのグループに分かれてチベット族,雲南,四川,等の民族衣装を着てそれぞれの音楽で踊っていましたがどうやら何かの撮影のようでテレビカメラが何台かありました

5月14日から21日

毎日ほとんど同じ生活パターンで毎日が過ぎていき,時間の過ぎるのがとても早く感じます、漢字で「按摩」は中国でも同じです、宿の近くに10元でとても上手な方がいます,タイやインド、ネパール,カンボジア,色々マッサージの経験がありますが今までで1番です,按摩屋の側に1時間2元のネット屋、午後から散歩方々,ネットか按摩,宿の入り口のお茶やでビールを飲んで中国人と筆談、近くの串焼き屋で夕食、その後は近くのバーでビリヤードやダーツ,ここはバックパッカ−の貯まり場で成都で英語教師をしている欧米人なども来ますがSARSのおかげでお客さんは激減していると経営者の中国人は嘆いていました、ここで毎晩夜中まで遊ぶ毎日です、ビリヤードと英語の勉強になりました、SARSのおかげで僕のように行き場を失った旅行者がだらだら過ごすには良い場所です

パンダの故郷四川省,成都にはパンダの繁殖を出来るだけ自然に近い形で研究している公園があります、カナダ人女性が二人行くというので、一緒に行くことにしました、毎夜飲んだくれているので早起きは苦手でしたがパンダは早朝にしか行動しないとのことなので、、、眠い、チャーターしたタクシーの中は皆無言でした、えさの笹を食べている4匹のパンダはとてもかわいかったです,カナダ人女性達はso cuteを連呼していました、パンダは各エリアに分けられ全部で20匹くらい居て,食後に木の上で寝てたり、大の字になって寝てたり、しかも間近で見る事が出来きる場所は世界でここだけだそうです

5月22日

世界遺産に指定されている成都の北約400キロに位置する九塞河という場所に行くことにしました、ここは数年前にテレビの番組で見たことがあり,その時は何処にあるかも判らず(多分絶対行く場所じゃないから憶えていなかった)ただ、テレビの映像で見てもとてもきれいな場所という記憶だけ残り、昨年バンコクで買った古本の地球の歩き方に載っていたので四川省にある事だけは出国前に判っていました、チベットに行けばここへ行く時間はないと思ってましたがこれもSARSのおかげ?この日も早起きをしてバスターミナルへタクシーで行きました、出来たばかりの真新しいバスターミナルは空港のような造りで中国の変化を感じます、ここでもまずサーモグラフィーによる体温検査と健康調査表の記入,怪しい中国人がバスのチケット売り場とバス停へと案内してくれ何か後で要求されるかと思いましたが何もありません(インド等では必ずお金の請求か何かを買わないかと下心が見えるのですが、、、)バスは日本と変わらない高速道路を走り何度かSARSの為の体温検査,残雪の見える峠を超え約10時間で到着です、立派なホテルが立ち並ぶ一大観光地ですがSARSの影響で観光客はほとんど見当たりません(成都滞在時に判ったことですがSARSの為に中国国内では団体旅行が禁止されているようです)ここは多いときには一万人の観光客が滞在しているそうです、この日は部屋数が100ぐらいあるホテルにとまりましたが宿泊客は僕だけだったようです

5月23日

世界遺産に指定される前までは公園内にて宿泊が出来たのですが現在は地元民だけしか滞在できません、しかし滞在したという旅行者も居たり、ホテルはないが民家に宿泊できるとか言う情報なども有り出来れば公園内に宿泊したいので荷物を持ってホテルをチェックアウトし公園へ行きました,入場料は145元,公園内バス料金90元かなり高いです、ディズニーランドの入場ゲートみたいな入り口を通りトヨタ製マイクロバスに乗り目的地の最終バス停まで行きここから歩いて見ます、ここで香港からきた旅行者と会い一緒に歩くことにしました,出発地点では5000メートルくらいの雪をかぶった山が印象的ですが携帯電話のアンテナがとても邪魔です,遊歩道は整備され滑らないように金網が敷いてあります,下りなのでとても歩きやすく景色も水もとてもきれいな所です、荷物を担いで歩くのはネパールのトレッキング以来でしたが距離が長くなるにつれ荷物が重く感じます、ライトブルーやエメラルドグリーン色の湖は本当にきれいです,文章で書き表す事は出来ません,結局約19キロ歩きそろそろバスを使って隣の谷に移動しようと思っていたら乗ったバスはもう公園が閉まるのでとなりの谷へは行かない、「まだ3時なのに?」宿泊場所を探そうと民家のある所でバスを降りると公園監視員が居て結局追い出されてしまいました、この時に20キロの荷物を背負った疲れがどっと出ました、ゲートを出てからのホテルまでの1キロがとても遠く感じました,昨日宿泊したホテルへと戻りマッサージ屋さんへ直行、歩き疲れた身体にマッサージは超気持ち良い,夕食は四川麺手品のように麺が見る見る細くなって味はいまいち僕に合わなかった

5月24日

昨日全部見る事が出来なかったので本日は続きの観光、2日目の入場料は40元,まだ高い、バス代は昨日と同じ90元、ガイドのお姉さんに長海に行きたいといったのに何を勘違いしたのか途中で降ろされてしまい他のバスで追いかける事になった,何故?二つの湖を観光後昨日の続きを歩く事にする,世界遺産の番組で見た同じ場所のきれいな風景が印象に残る、SARSの為に観光客が居らずのんびり出来た、僕が観光した時にはマイクロバスが10台も走っていなかったが多い時には大型バス100台にマイクロバス100台が常時公園内を走っているそうです,確かに広い駐車場やディズニーランドのような入り口、長い列が出来ても効率よく乗れるバス乗り場などを見ると想像できます、今日も結局10キロ以上歩いたのでマッサージが気持ちよい、疲れとビールの酔いで気持ちよく寝れた

5月25日

もう1日滞在したかったがバスのチケットを買っていたので成都へ戻る事にする、今朝も早起き8時のバスで出発、バスは飛ばす,断崖絶壁でも飛ばす,怖い,アジアのドライバーはどの国でも猛スピードで走る、SARSより怖い?海外旅行で1番怖いのはバスや車の事故です,インド人ドライバーのようにクラクションを鳴らしっぱなし,うるさくて寝ることも出来ない,飛ばした割に成都へついたのは定刻だった、龍堂ゲストハウスは相変らず暇そうです(SARSの為にチベットが閉鎖され旅行者が居ない)久々に日本人と会う,彼は前から時々見かけていたが中国語を話すので他の旅行者から中国人だと聞かされていたが同じ部屋に宿泊し日本の本があったので日本人だと判った,ぽんぽん船や他のとほ宿へ泊まった事があるとのこと,約2週間ぶりに日本語を話した

5月26日

成都にイトーヨーカドーが有ると日本人から聞いていたので早速行って見たがお目当ての格安衣料品は無かった、バンコクではGパン、靴、など日本で買うより安くメーカー品が売っているので期待したのですがメーカー品は高く、安い物のデザインはいまいち?中国では世界中のメーカーブランドが工場を持っているので横流し品があるのでは?と思いアウトドアショップなんかも覗くのですが高いものが多い、誰が買うの?夕方、テラスでのんびりしていると北京在住の陳陰夫さんという書道家と知り合う、中国語と日本語を少し話すフランス人と私(筆談)3人で宴会が始まり中国語を話す同室の日本人も加わり、夜中、4人で陳さんが美味しいビールを飲ませる店に行こうというので行ってみると美人のバドワイザーガールが何人も居る店でした、陳さんは良く来ているらしくバドガールと友達で仕事が終ると僕らのテーブルで一緒に飲んでいました、ワインやビールでかなり酔っ払ってしまい記憶が途切れ途切れ?

5月27日

チベットへはいくら待っても行けそうに無いし、成都に居てもすることが無いので移動することにしました、列車で昆明まで行こうと考えたのですが飛行機が安そうなので、、、どうしよう?中国の列車にはあまり良い印象がありません(19年前の話ですが)しかも20時間以上、結局どちらにするか答えが出ずに夜になってしまった(起きるのが遅い為すぐに夜になる、しかし時差の関係で8時過ぎまで明るい)陳さんとまた飲み始める、筆談、強いお酒は初体験らしく陳さんかなり酔う、筆談に使った紙を記念にほしいといったらこれは失敗した書の紙だから断られたが、代りに僕の為に書を書いてくれるとの事で突然机へ向かい、北海道の雪をイメージして書いた書を頂きました(現在、宿の入り口に掛けています、全部読めません誰か読める方がいたら教えて下さい)また、深夜まで飲んでいると隣の中国人からうるさいと言われてしまう、中国人にうるさいと何度も言ったことは有るが言われたのは初めてでした(中国人は全般うるさい)

5月28日

今日は久しぶりに晴天、成都で晴天は珍しい事です中国に来て初めて日光浴をしました、昨日は日本人が2人増え、今日は更に2人、日本人は全部で6人、30日の昆明行きの飛行機チケットを買いました、飲み疲れ?いつのまにか寝ていました

5月29日

今日も晴天、洗濯日和です、成都ではほとんど洗濯物は外に干してません、いつも天候が悪く、急変する事も多いので軒下か室内に干し、数日掛けて乾燥させますが今日は大丈夫です、大理に行った事の有る日本人に情報を聞いたりのんびりし、ポールズバーへ行くと閉まっている、何やら電気を止められたそうで大家さんともめている様です、昨日までは電気が止まっていても営業していたのですが、、、残念です、夕方ポールと、ジョゼフがドラゴンハウスへ現れフランス人女性イギリス人女性と5人でテラスでビールを飲むことになる、ジョゼフは僕が日焼けしている理由がわかったらしくタイで買ったハンモックの有るテラスが気に入ったみたいです、その後ポールの彼女も加わり高級お茶のお店に行くが冷えたビールが無く、僕とジョゼフは仕方なく氷を入れビールを飲んだが美味しくないので早々に引き上げました、いつものバーベキューやで夕食を済ませユースで日本人と情報交換(主にSARS情報です)終息方向にあるみたいです

5月30日

6時45分に四川航空のライトエースがゲストハウス前に迎えに来た(送迎付航空券)他に客は3名、空港ではいつものように体温測定、調査書、馴れてしまう、ジェット機は行きと同じ40人乗りくらいの小型ジェット、離陸は定刻より20分ほど早く少々びっくり、SARSチェック後昆明のホテルへ10時前に到着、JASの支店を探すが見つからない、ビザ延長の為にイミグレーションを探すがここも見つからない、バンコクで買った古い地球の歩き方が役に立たない、ホテルに戻り確認すると両方とも引っ越したとの事、気を取り直しイミグレーションでまずビザの延長、その後JASへ、昆明発北京行きの時間が変更になり北京で1泊しなければ関空行きに乗れないとの事、どうしよう?夜自転車を借り飲みに出るがいまいちなのでホテルの近くに戻り飲みなおす

5月31日

昨夜はすごい雨と雷だった、通りへ出ると道路は冠水し大渋滞している、13時のバスを予約、バスステーションで21歳(実は31歳後で気付く)の中国人女性と一緒になる、アメリカ留学の経験がありきれいな英語を話す、道路は整備され半分は日本の高速道路と同じ作りなので5時間ほど(約300キロ)で大理に到着、ローカルバスに乗り換えゲストハウスのある古城へ何軒かのゲストハウスを見て歩きNO(ここではNO1からNO5まで番号でゲストハウスの名前が呼ばれ本当の名前は他にある)に宿泊する事にする、中国到着時に知り合った日本人から教えてもらった日本食レストランの太陽島へ行き信さんと会うここで情報を集める、ここのカレーはまずかった、酒を70元で買う、夜の町を歩く、中国人観光客が深夜まで飲んでいる

6月1日

よく寝れた、無料のインターネットでメールチェック、ホテルで朝食後街をぶらつく、バスで一緒だった中国人女性が借りた自転車を又借りし大理の周辺をサイクリング湖周辺では見なれた草花きれいだった、夕食は近くのバーで済ませる、とうりに面したバーは観光客を眺めるのに最適で中国人を眺めていると結構面白いがインド人ほどではなかった

6月2日

ミチ子さんからのメールによると北京発関空行きが15日16日は欠航になったそうだ、このままじゃ帰国できない、どうにかしなくては、JALへ無料通話を試みるが中国人に無料通話が理解してもらえない、一度だけ貸してもらえたが2度目はダメだった、日本へ直接無料電話がかけられるのだが日本語を話しているので公用電話の店の人が怪しんでいる、結局JALの営業時間が終ってしまう、今日は山に行っていた日本人たちが帰ってきた、皆長旅の連中で話が合う、久々に一緒に遊び面白い、夕食を皆と中華をとる、人数が多いので色々な種類が食べられ、美味しい、夜は昨日と同じバーで飲む

63日から6日

航空券は17日に変更し、乗り継ぎの都合で北京に1泊する事になったがJALがホテルを用意してくれるのでラッキーかな?良いホテルに泊まれそうだ、北京では知り合った陳さんと林さんに会えそうだ、夕方降り始めた雨は3日続き、まるで日本の梅雨の様、毎日する事が無いので深夜まで日本人と飲み、昼頃まで寝て(朝1度起きるのですが雨なので2度寝してしまう)、朝食兼昼食をとりレストランで本を読む、退屈なので雨の合間に散歩するがすぐに又降ってくる、麗江に移動する事にした、ここは最近までSARSの為に旅行者は立ち入り禁止になっていた(今も立ち入り禁止だが以前のように追い返される事は無くなっている)

6月7日

朝からパッキングをして日本人の面々に挨拶をし、日本食レストランのキクヤで麗江までのバスチケットを購入し4時のバスで麗江へ、バスは標高を上げ走っている、チベットの入り口の風景はすばらしかった、3時間で到着、ホテル探しをするが閉鎖している所がまだ多くある、古城(ここは世界遺産に指定されている古城、新市街地と町が分かれている)の中にホテルを見つける、宿泊者は中国人ばかり、夜の町に出てみるがいまいち活気が無いので早々に引き上げる

6月8日

久々に天気が良い、待ちをぶらつく、ここの古城は城壁を作らずに道を迷路のように作ることによって敵の攻撃を混乱させていたとの事で道がかなり複雑になっています、ボーっと歩いていると確実に迷子になってしまいます、場違いなアウトドアショップを見つけ、スキーパンツなどメーカー品が安く売っているのだけど本物かどうか?桜カフェで大理で一緒に遊んだ日本人と再開する、夕食は彼のゲストハウスで他の日本人と一緒にとり、ここは二食付だそうだ、食後に皆で日本食レストラン?みたいな所へ日本人が多い、その後は1人で、キャメルというバーへ、帰ろうかなと思った時、若者グループ登場、何やらかなり怪しいが高校生くらいかな?別の20代後半組み登場、観察していると面白い、酒が進み踊り出す人達、この踊りがすごかった、恐らく何処かの少数民族なのだろう、皆踊りが上手でしかも激しい動きを1時間近く続けている、白人が時々加わるが激しい動きについて行けず、すぐに止めてしまう、彼らがダンスを止めると店は静かになったので帰る、きっと彼らは子供の頃から何処かの村で踊っていたのだろう

6月9日

今日も天気は良い、近くに6000メートルを超えるきれいな山があるというので行こうとバスを待つが来ない、後で聞くと山はSARS騒ぎでまだ行けずバスは運休しているらしい、秋とかクリアな日には麗江の市街地からでも見る事ができるらしい、街をぶらつくと中国人の林さんと再会、昼食を一緒に食べ、夕食の約束もした、一人旅はとっても楽な旅だけど食事を1人でとる事は皆寂しく感じる、ホテルへ戻ると日本人の友人が遊びに来たのでテラスでくつろぐ、ビールを飲みながら久々の日光浴、気持ちよい、明るいツインの部屋が空いたので移動する、この部屋はとても明るく窓からの景色も良い、夕食後に昨日のバーに林さんと行くが今日は何も起こらなかった

6月10日

部屋を移動したので朝日のまぶしさに目が覚める、良い天気と思いきや突然の雨、雨が止み食事に出るが又雨が降り始める、雨が止み散歩をしていると又雨、へんてこな天気に翻弄される1日、新市街に夜遊びに出るがどうも怪しい店が多い、今日はついてなさそうなのでおとなしくゲストハウスに帰る

6月11日

旅が終りに近づいたので床屋さんへ行く、何処に行っても安い、カンボジアでは1ドル、中国は5元(70円)インド、忘れた、技術はいまいちの時もあるが日本に帰る頃には判らなくなっている、シャワーを浴びたり、洗濯をし、ビールを飲んでのんびりして音楽を聴いているとノックの音がする、誰かな?ドアを空けると数日前の泊まっていたカップルの女性「ここは私の部屋だから出ていってくれ」と英語で言っている、何じゃ?ホテルのマネージャーに聞いてくれ、と言ってドアを閉めるがすごく不満そうである、カギを閉め部屋に居ると何度もノックをする、しばらく無視しているとマネージャーの女性が来て部屋を換われと言っている、荷物をまとめるのがめんどくさいし、なんで換らなきゃ行けないのか?元々彼女たちが宿泊し荷物を置いて何処かへ行っていたのだが部屋代を払っていないので2名分を払い4,5日居るならマネージャーがこの部屋を使ってくれと言い、僕が「彼女らが戻って来てもめないか?」と、わざわざ確認したのに、、、「僕はあなたがとても親切で感謝しているのにうそをつくのですか」?と言うと、「違う」と言って女の所へ行ったが何やらかなりもめている、女が僕の部屋の合鍵を持ってとうとう僕の部屋に侵入し、「ここは私のベット」と言って横になってしまった、これにはさすがに女の男が止めようとするが止めない、隣のホテルのマネージャーも来て説得するが動こうとしない、女性マネージャーはとうとう泣き出し、ホテルのオーナーが4日分の宿泊代はいらないから部屋を出てくれと言ってるらしい、これ以上もめるのも疲れるだけなので隣のホテルへ移動した、隣のホテルのマネージャーは「あの女は狂っている」と言っている最初に部屋に訪れた時に僕が突き飛ばして部屋から追い出されたとも言っていたらしい、これは明らかに中国政府が20数年前に始めた「一人っ子政策」による弊害、子供達はかなり甘やかされて育ち、何でもわがままが通そうとする話を時々聞いた事がある、文章で書くとこうなってしまうが実際はもっと過激な言葉が飛び交い、大きな声で言い争ったり、1時間以上もめていたと思う、ハイな気分から一転したので余計に疲れてしまった、隣のホテルの客は僕だけらしい、テラスからの街並みの景色がとても気に入った、このテラスの真横にはさっきまでいた部屋がある、壁を思いっきり蹴飛ばしたかった、、、が、きちがいに関りたくなかったのであきらめた、気分転換に新市街へ酒を飲みに出る、ここの街にもカラオケが氾濫している

6月12日

テラスでくつろいでいると昨日のバカップルが通りを歩いている街に出ようとすると、また雨、腹は減っているが激しくなるばかり、日本食のインスタントスープやコーヒーでごまかす、2時過ぎにようやく雨は上がり、いきつけのレストランへ、ここは日本食のメニューがあり色々食べてみるが煮物、焼き物は大丈夫だが揚げ物はダメ、他の店で揚げ物を頼んだ時もひどかった、黒ずむまで揚げるのが習慣?てんぷらはメニューにあったが怖くてとうとう注文できなかった、通を歩いていると昨日のバカップルの女が僕に合図を送り挨拶してくる、さすがに男は嫌な表情、何考えているんだか?夜キャメルに行くが人がいない、ここは人が集まると楽しいがまだ旅行者が少ない

6月13日

今日も雨が降っている、雲南省はどうやら雨季に入ったようだ、梅雨とは語源は中国で揚子江付近で梅の花の咲く時期に降る雨なのだそうだ、今日戻る大理で取れた石の事を大理石と日本では言うが普段僕らが日本語として使っている言葉の多くに語源が中国の物が多いと思う、雨なのでとなりのホテルでメールチェックすると、ミチ子さんから17日の北京発関空行きが欠航になったとの知らせ、女性マネージャーに無料通話を説明しJALに電話をする、上海経由になり、16日朝に昆明のJASに航空券の交換に行かなくてはならなくなった、せっかく知り合った北京の中国人らに再会できると思っていたが残念、4時過ぎにホテルをチェックアウトし、両替を済ませバスターミナルへ行くと4時半のバスがあるとの事で急いでチケットをかってバスに乗り込む、途中から雨も上がり夕焼けがきれいだった、8時前に大理到着、NO2ゲストハウスに泊まる、隣の部屋は前に一緒に遊んだ日本人、99年にカルカッタであった事のあるタカさんもまだ居るそうだ(お互いの顔は覚えていなかったがインドの話になった時に子供達の話をしたら、もしかして?カルカッタのパラゴンホテルに泊まる日本人の小学生は珍しい?)近くの日本食レストランのキクヤへいくとタカさんや日本人が居る、また遅くまで一緒に遊ぶ

6月14日

今日も雨のため二度寝してしまう、昼過ぎから行動を始め日本食レストランの太陽島へ食事に出る、ここで日本語を話す中国人と会う彼は北京のディスコでDJをしていたそうだがSARSで閉鎖になり職を失い旅に出たとの事、そう言えば林さんも仕事が今は無いらしい、日本人5人で中華を食べに行く人数が多いので多くの種類が食べる事ができる、土曜の夜なのか人出がいつもより多い観光客が戻りつつあるようだ、今日も深夜まで飲んだ

6月15日

今日は昆明まで戻らなければならない、パッキングを済ませキクヤで中国式朝食をとるJALに電話をして上海のホテルの場所の交渉をするが日本に電話しているので通じたかどうか判らない、上海の中心部なら良いのだが国際空港の側なら何もない、12時にチェックアウトし13時のバスで下関まで14時発の昆明行きに乗り換える、何処でもそうだがドライバーはやたら飛ばす、荒い運転で公安(警察)に捕まり何やら交渉しているようだが許してもらえなかったようだ、8時過ぎにバスターミナルへ到着、近くに宿を取るか前に泊まったYH(大きなホテル)にするか迷ったがJASに近いYHに宿泊

6月16日

朝一にJASへ行き、航空券の交換をした、上海でのホテルは中心部に近い日航ホテルで空港からのタクシーや朝食付だそうだ、さすがにJALだ無料航空券なのでちょっとだけ気が引けた、おまけにJASの社用車にて昆明空港まで送ってもらう、飛行機のチケットは中国東方航空なのに機材は雲南航空なぜ?上海には40分早く到着する、ハイエースのタクシーで(領収書を持ったタクシーが居なかったので)日航ホテルへ、部屋は26階、眺めは良い外灘(バンド)が見える、海外でのチケットがらみのトラブルはこれで4回目、いつも最高のホテルにただで泊まれラッキーなんだがそこまでに辿りつくのにかなりのエネルギーを使ってしまう、トラブルは無い方が良い、外へ出てから中心街へ向う途中に青島ビール、サントリービールを見つけてしまい飲む、やはり美味しいし、良く冷えている、(中国では今でもビールを冷やして飲む習慣が無い所が多いので何度か冷たいビールを街中捜した)地下鉄で中心部まで行き街をぶらつくが19年前に行った時とは違う街になっていた、りんという小柄な女性が近づいてくる、かわいいし、暇だったのでしばらくベンチに座り筆談や日本語で話す、日本語の勉強をしたいらしいが何かありそうな予感?しばらくしてお腹が空いたので歩きながら食べ物屋を探しているとりんさんが知っている店があるのでついて行くが裏通りのなんか怪しい雰囲気(恐らくこの店と何か関係がある)中華のファーストフード店を見つけ入る、小龍包、春巻き、餃子、スーパードライ、都会だな、昔ミチ子さんと豫園で小龍包を食べた事を思い出した、浦江の方へ歩いて行くと寒いからと言ってりんさんは何処かへ行ってしまった、見た目も感じも良かったのだが、、、浦江飯店は昔のままだった、このバンド地区は保存されているらしい、古い建物はライトアップされきれいだ、目的地に行くことができ時間も遅いのでコンビニでサントリービールを買って帰った

定価100元プラス税15%のバイキング朝食をとる(僕は無料)、日本人ばかりでなくお金持ちの中国人もいるが人が少ない、そう言えば昨晩30階建てホテルの部屋は10くらいしか明かりがついていなかった、10時にシャトルバスが迎えに来るとの事だったが日航ホテルのハイエースで客は僕1人だった、10時半に到着、飛んでる時間より待ってるほうがずっと長い、定刻にて13時出発、JAL特製赤、白ワインは美味しかった16時過ぎ到着(時差の関係で飛行時間は2時間ない)心配していたSARSチェックは中国ほど厳しくなく無事に通過、関空で千歳行きに乗り換え、霧の為着陸できないかもしれないと言っていたがどうにか着陸してくれ無事に家に着く事ができた

現在の予定では来年もマイレージ無料航空券にて(11月30日までだと16000マイルで1年オープンチケット)昆明まで飛んで大理、麗江を経由し中旬から陸路(違法)または空路にてラサまで行こうと考えています、マイレージの航空券が続く限りしばらく中国を旅しそうです、19年前に上海で心に誓った、もう中国は二度と旅しないは撤回します

ここから思ったよりマイルが貯まり04年インド旅行へと変更になりました